2006年06月11日
子供とテニス 続編2
以前の記事「子供とテニス 続編1」の続きです。
そうして、お金を受け取って、テニスを教える
日本一頼りないコーチが誕生してしまったわけです。
それからも、それ以前としていることは同様です。
教えているというよりは、
ヒッティングパートナー兼球出し役に近いような形で、
練習は続きました。
まともにテニスの指導を受けたことのない人間が、
テニスを子供(といっても中学生ですが)
に教えるというのはやはり困難でした。
自分が知っている範囲は、
例えば、
ストロークを打つときは必ず後ろから入って、
踏み込んで打つだとか、
膝は曲げても上体は倒さないとか、
ボレーは引かずに前で取り、踏み込みは必ずするようにとか、
スマッシュで下がるときは、真後ろに下がるのではなく、
横を向いて下がるだとか、
こういう基本的なことしかなく、
それ以上の高度な技術は全く教えることはできませんでした。
それでも、彼とその親御さんは
満足してくれていたようでした。
また、子供の成長というのは恐ろしいもので、
たったこれだけの内容で、且つ
たった週一回2時間の練習
(他にも彼は練習場所を少しは持っていたようですが、
一番たくさん打てるのは私との練習だと言っていました。)
でどんどん上達して行きました。
練習を開始してから、約一年と少しで、それまで2回戦がやっとだった彼が、
高校生の市民大会では準優勝、県の新人戦ではベスト8に進出するほどになりました。
それまで、月一回は1セットの試合形式の練習をしていたのですが、最初は全くゲームすら取れる気配の無かった彼に、それから少しして、ついに、負けるときがきてしまいました。
その後、私の進学もあって、
結局、私よりははるかに強いかつての練習パートナー
(インカレ出場クラス、でも留年生)に引き継ぐこととなりました。
と、ここまではあの「子供とテニス」とはあまり関係が無いようですが、
あの記事と関連が深いのは、
この家族から紹介された別の子供達との
「もう一つのレッスン」です。
それについてはまたの機会に。
そうして、お金を受け取って、テニスを教える
日本一頼りないコーチが誕生してしまったわけです。
それからも、それ以前としていることは同様です。
教えているというよりは、
ヒッティングパートナー兼球出し役に近いような形で、
練習は続きました。
まともにテニスの指導を受けたことのない人間が、
テニスを子供(といっても中学生ですが)
に教えるというのはやはり困難でした。
自分が知っている範囲は、
例えば、
ストロークを打つときは必ず後ろから入って、
踏み込んで打つだとか、
膝は曲げても上体は倒さないとか、
ボレーは引かずに前で取り、踏み込みは必ずするようにとか、
スマッシュで下がるときは、真後ろに下がるのではなく、
横を向いて下がるだとか、
こういう基本的なことしかなく、
それ以上の高度な技術は全く教えることはできませんでした。
それでも、彼とその親御さんは
満足してくれていたようでした。
また、子供の成長というのは恐ろしいもので、
たったこれだけの内容で、且つ
たった週一回2時間の練習
(他にも彼は練習場所を少しは持っていたようですが、
一番たくさん打てるのは私との練習だと言っていました。)
でどんどん上達して行きました。
練習を開始してから、約一年と少しで、それまで2回戦がやっとだった彼が、
高校生の市民大会では準優勝、県の新人戦ではベスト8に進出するほどになりました。
それまで、月一回は1セットの試合形式の練習をしていたのですが、最初は全くゲームすら取れる気配の無かった彼に、それから少しして、ついに、負けるときがきてしまいました。
その後、私の進学もあって、
結局、私よりははるかに強いかつての練習パートナー
(インカレ出場クラス、でも留年生)に引き継ぐこととなりました。
と、ここまではあの「子供とテニス」とはあまり関係が無いようですが、
あの記事と関連が深いのは、
この家族から紹介された別の子供達との
「もう一つのレッスン」です。
それについてはまたの機会に。