2006年05月24日
テニスと教育
先日の記事にて、「子供とテニス」について書きました。
今回は、その続編として、テニスと教育について書きたいと思います。一部、私自身の偏見と思い込みが含まれている恐れがあります。ご了承の上、お読みください。
社会人になる以前の学生時代にバリバリ、テニスをし、愛していた人のうちで、今もテニスを続けている方は多くいらっしゃることと思います。ただし、それは単純な個人の趣味の延長線上であり、テニスを生業としている方はプロプレイヤー、コーチ、メーカー関係者を含めても、ごく一部だと思います。
テニスに限らず、野球、サッカー、その他のスポーツ、さらに言えば、芸術などの文化についても同様の傾向が見られるとも、思います。
一方、現在、教育の現場では、教師の過労状態もまた問題となっていると聞きます。教師は中学以上の学校では、クラス担任、教科担任、部活顧問を兼任していることが多く、平日昼間はクラス担任、教科担当として、平日夕方以降、休日は部活動に時間を奪われ、それにより、教師自身の心のゆとりがなく、全ての生徒の心の問題まで手が行きとどかず、それにより、多くの生徒が望まざる生活へと堕ちて行くことが問題となっているとも聞きます。
私は、部活顧問講師制度があればと、今まで何度も思ったことがあります。
私の言う、部活顧問講師は、基本的に担当授業を持たず、部活顧問とクラス担当を主な業務とし、時には、いくつかの授業にオブザーバーとして参加する講師です。
授業は、教師のワークエリア、部活は講師のワークエリアとして、分割し、従来の教師が一人で背負っていた責務を分担して、余った労力を生徒のメンタルケアに充てることが、この制度の目的です。
私の知る限りでは、それまでに、全国クラスもしくはそれに準じたの戦績を残した人は精神的にも優れた人が多く、こう言った人が、さらにスポーツを指導するためのトレーニング、メンタルケアに関するトレーニングを積めば、講師にふさわしい人物になれると信じています。故に、資格としては、テニスでは、日本体育協会公認 テニス教師+メンタルケアトレーニングを修了した者が妥当だと思います。
このように、人を使うシステムがあれば、当然、人権費が発生します。それはどこから得れば良いのでしょうか?私は教育税ってあっても良いと思います。課税対象は、扶養対象者のいない、所得税対象者です。生き方が多様化し、出生率が低下している昨今、子供よりも、仕事や自身の生きがいを重視する人が増えていると聞きます。ならば、子供を持たない大人が、子供を持つ家族を支えるシステムってあってもいいんじゃないでしょうか?
また、お金といえば、最近のメディアで、教育を目的として掲げた赤字を垂れ流す半公的ハコモノについて伝えられることが度々あるようですが、人を育てるのは、モノではなく、間違いなく人です。(どこかのクレジットカードの宣伝ではありませんが)
子供は、社会にとって磨けば光る原石です。ただし、磨かなければ、光る可能性が失われてしまいます。また、磨くには多くの時間と労力が必要で、磨き方もできれば、高度な方が良いと思います。そのためのこと、真剣に考えることが必要になっているのではないのでしょうか?今後の教育に必要なのは、「ゆとり」ではなく「強さ」なのかもしれません。
そういった社会の延長線上でなら、世界で戦える日本人が今よりも多く生まれるのではないでしょうか?
今回は、その続編として、テニスと教育について書きたいと思います。一部、私自身の偏見と思い込みが含まれている恐れがあります。ご了承の上、お読みください。
社会人になる以前の学生時代にバリバリ、テニスをし、愛していた人のうちで、今もテニスを続けている方は多くいらっしゃることと思います。ただし、それは単純な個人の趣味の延長線上であり、テニスを生業としている方はプロプレイヤー、コーチ、メーカー関係者を含めても、ごく一部だと思います。
テニスに限らず、野球、サッカー、その他のスポーツ、さらに言えば、芸術などの文化についても同様の傾向が見られるとも、思います。
一方、現在、教育の現場では、教師の過労状態もまた問題となっていると聞きます。教師は中学以上の学校では、クラス担任、教科担任、部活顧問を兼任していることが多く、平日昼間はクラス担任、教科担当として、平日夕方以降、休日は部活動に時間を奪われ、それにより、教師自身の心のゆとりがなく、全ての生徒の心の問題まで手が行きとどかず、それにより、多くの生徒が望まざる生活へと堕ちて行くことが問題となっているとも聞きます。
私は、部活顧問講師制度があればと、今まで何度も思ったことがあります。
私の言う、部活顧問講師は、基本的に担当授業を持たず、部活顧問とクラス担当を主な業務とし、時には、いくつかの授業にオブザーバーとして参加する講師です。
授業は、教師のワークエリア、部活は講師のワークエリアとして、分割し、従来の教師が一人で背負っていた責務を分担して、余った労力を生徒のメンタルケアに充てることが、この制度の目的です。
私の知る限りでは、それまでに、全国クラスもしくはそれに準じたの戦績を残した人は精神的にも優れた人が多く、こう言った人が、さらにスポーツを指導するためのトレーニング、メンタルケアに関するトレーニングを積めば、講師にふさわしい人物になれると信じています。故に、資格としては、テニスでは、日本体育協会公認 テニス教師+メンタルケアトレーニングを修了した者が妥当だと思います。
このように、人を使うシステムがあれば、当然、人権費が発生します。それはどこから得れば良いのでしょうか?私は教育税ってあっても良いと思います。課税対象は、扶養対象者のいない、所得税対象者です。生き方が多様化し、出生率が低下している昨今、子供よりも、仕事や自身の生きがいを重視する人が増えていると聞きます。ならば、子供を持たない大人が、子供を持つ家族を支えるシステムってあってもいいんじゃないでしょうか?
また、お金といえば、最近のメディアで、教育を目的として掲げた赤字を垂れ流す半公的ハコモノについて伝えられることが度々あるようですが、人を育てるのは、モノではなく、間違いなく人です。(どこかのクレジットカードの宣伝ではありませんが)
子供は、社会にとって磨けば光る原石です。ただし、磨かなければ、光る可能性が失われてしまいます。また、磨くには多くの時間と労力が必要で、磨き方もできれば、高度な方が良いと思います。そのためのこと、真剣に考えることが必要になっているのではないのでしょうか?今後の教育に必要なのは、「ゆとり」ではなく「強さ」なのかもしれません。
そういった社会の延長線上でなら、世界で戦える日本人が今よりも多く生まれるのではないでしょうか?
教育税、おもしろいですね。消費税として税率UPさせるよりこういう名目でのUPの方が、個人的には受け入れられますね。
テニスで言うなら、一藤木さんにしても錦織さんにしても結構特殊な磨き方だと思います。彼らほどではなくとも、一定水準以上の磨き方を国内でコンスタントに提供できればすばらしいですね。やはり、甲子園とか国立とかの存在は大きいんでしょうねぇ。野球やサッカーがうらやましいです。団体競技ゆえの周辺土壌差というのもあると思いますが。
「教育は未来への先行投資」
だと思うんです。
うちの学校の校訓は「切磋琢磨」なんです。
先生も一緒になって磨き合っています。
みんな磨けば光る原石ですね。同感です。
少し外れてしまうかもしれませんが、コメントします。
まず、僕自身の現在の活動状況をお話しますと、学校の指導については週4日間(月、火、木、金)の指導を現在は行っております。
以前は土日を含めて週6日学校練習を見ていました。が色々ありまして平日4日をみています。
学校の特色として超進学校であまりスポーツで進学するという学校ではありません。
スポーツよりまず勉強が選考する学校だという事をお見知りおきください。
さて、あくまでも僕自身の考えなんですが、まず選手育成に関しての素材発掘についてはテニスクラブやスクールに捉われず学校の管理下で広い範囲で発掘できれば良いなと感じています。
さらに子供達にとって指導者にも恵まれる環境をより作っていければ良いな!!
とも、感じています。
残念ながら、子供達の人数に対して指導者の数は正直足りていないと思いますし、ジュニアのレッスンが出来るコーチの数もさらに少ないと思います。僕が住んでいる茨城県に関しては特にそうです。
単純に、指導者の数が少ないのです。
ですから、まずは指導者がたくさんいる組織をつくり今、日本プロテニス協会が行っているジュニアスカウトキャラバンを小学生の部分にとどめず、中高生に向けのスカウトキャラバンを行い人材を求め、サッカーの選手の育成でもあるようにふるいにかけていく。
世界で通用する選手を育成するには、今僕が言った事を国が動いてやってくれれば、少しは近づけるのではないかと思います。
僕が学校の指導をしていて現状で大きな不満はないので、世界に通用する選手育成のアイデアがあまり浮かんでこないのですが、1つだけ不満な事があります。
学校テニスのレベルを上げて行きたいのであれば、学校の指導に携わっている外部コーチの団体戦でのベンチ入りを認めて欲しい。
これだけは何とかして欲しいものです。
的外れですみません。
これからもよろしくお願いします。
貴重なご意見ありがとうございます。
まずは、テニスの指導ということが日本中での多くの場所で、
ビジネスとして成り立つ状況が必要なのだと思います。
おともコーチの言う、キャラバンが一つの例となれば良いのですが、
ビジネスという側面を考慮すると、良い指導=ハイコストの図式ができそうです。
テニスは他のスポーツに比べ、道具のコストが高い、場所が限られやすい、
ということもあると、
やはり、おともコーチのように、私立の学校が指導者を雇うというのが、
現状での最大限なのかもしれません。
今後、教師ではない指導者という職業の認知度が上がれば、
指導者を目指す人もきっと増えるでしょうし、
高校野球やサッカーの監督のように、ベンチ入りも認められるように思います。
なぜ、指導者のベンチ入りが認められないのでしょうか?
疑問ですね。
フェドカップでのできごとなのですが、
観客席の福井さんが、観客席から、選手に檄を飛ばすなんてことがありました。
ベンチコーチとして、より詳細なコーチングができるに越したことはないと思いますが、
そういう方法もあるのではないでしょうか?
そこまでなさったら、まさに熱血コーチですね。
騒がしいと苦情も出そうですが。。。
今後もご活躍を期待します。コメントありがとうございました。