2006年05月24日
テレビ東京
時代に乗り遅れている私が、
昨日ようやく気づいたことがあります。
それは、今年はフレンチオープンをテレビ東京が放映しない
ということです。
地上波でのテニス番組は少ないのに、
テレビ東京はニッチな番組を得意としているのに、
フレンチオープン中継を楽しみにしているテニスファンは多いはずなのに、
世界卓球の中継はあったのに、
フェデラーの年間グランドスラムがかかっているのに、
すばらしい試合がきっと繰り広げられるはずなのに、
インドアテニススクールブームが起きているのに、
日曜日はゴルフ番組ばかりなのに、
WBSとMBSをほぼ毎日見ているのに、
すごーく楽しみにしていたのに、
テレビ東京は放映を今年からやめてしまったのです。
あまりのショックにWOWOWの契約を本気で考えています。
テレ東さん来年こそ、来年こそはお願いします。
でないと、全国のテニスファンを敵に回しますよぉ。
昨日ようやく気づいたことがあります。
それは、今年はフレンチオープンをテレビ東京が放映しない
ということです。
地上波でのテニス番組は少ないのに、
テレビ東京はニッチな番組を得意としているのに、
フレンチオープン中継を楽しみにしているテニスファンは多いはずなのに、
世界卓球の中継はあったのに、
フェデラーの年間グランドスラムがかかっているのに、
すばらしい試合がきっと繰り広げられるはずなのに、
インドアテニススクールブームが起きているのに、
日曜日はゴルフ番組ばかりなのに、
WBSとMBSをほぼ毎日見ているのに、
すごーく楽しみにしていたのに、
テレビ東京は放映を今年からやめてしまったのです。
あまりのショックにWOWOWの契約を本気で考えています。
テレ東さん来年こそ、来年こそはお願いします。
でないと、全国のテニスファンを敵に回しますよぉ。
2006年05月24日
テニスと教育
先日の記事にて、「子供とテニス」について書きました。
今回は、その続編として、テニスと教育について書きたいと思います。一部、私自身の偏見と思い込みが含まれている恐れがあります。ご了承の上、お読みください。
社会人になる以前の学生時代にバリバリ、テニスをし、愛していた人のうちで、今もテニスを続けている方は多くいらっしゃることと思います。ただし、それは単純な個人の趣味の延長線上であり、テニスを生業としている方はプロプレイヤー、コーチ、メーカー関係者を含めても、ごく一部だと思います。
テニスに限らず、野球、サッカー、その他のスポーツ、さらに言えば、芸術などの文化についても同様の傾向が見られるとも、思います。
一方、現在、教育の現場では、教師の過労状態もまた問題となっていると聞きます。教師は中学以上の学校では、クラス担任、教科担任、部活顧問を兼任していることが多く、平日昼間はクラス担任、教科担当として、平日夕方以降、休日は部活動に時間を奪われ、それにより、教師自身の心のゆとりがなく、全ての生徒の心の問題まで手が行きとどかず、それにより、多くの生徒が望まざる生活へと堕ちて行くことが問題となっているとも聞きます。
私は、部活顧問講師制度があればと、今まで何度も思ったことがあります。
私の言う、部活顧問講師は、基本的に担当授業を持たず、部活顧問とクラス担当を主な業務とし、時には、いくつかの授業にオブザーバーとして参加する講師です。
授業は、教師のワークエリア、部活は講師のワークエリアとして、分割し、従来の教師が一人で背負っていた責務を分担して、余った労力を生徒のメンタルケアに充てることが、この制度の目的です。
私の知る限りでは、それまでに、全国クラスもしくはそれに準じたの戦績を残した人は精神的にも優れた人が多く、こう言った人が、さらにスポーツを指導するためのトレーニング、メンタルケアに関するトレーニングを積めば、講師にふさわしい人物になれると信じています。故に、資格としては、テニスでは、日本体育協会公認 テニス教師+メンタルケアトレーニングを修了した者が妥当だと思います。
このように、人を使うシステムがあれば、当然、人権費が発生します。それはどこから得れば良いのでしょうか?私は教育税ってあっても良いと思います。課税対象は、扶養対象者のいない、所得税対象者です。生き方が多様化し、出生率が低下している昨今、子供よりも、仕事や自身の生きがいを重視する人が増えていると聞きます。ならば、子供を持たない大人が、子供を持つ家族を支えるシステムってあってもいいんじゃないでしょうか?
また、お金といえば、最近のメディアで、教育を目的として掲げた赤字を垂れ流す半公的ハコモノについて伝えられることが度々あるようですが、人を育てるのは、モノではなく、間違いなく人です。(どこかのクレジットカードの宣伝ではありませんが)
子供は、社会にとって磨けば光る原石です。ただし、磨かなければ、光る可能性が失われてしまいます。また、磨くには多くの時間と労力が必要で、磨き方もできれば、高度な方が良いと思います。そのためのこと、真剣に考えることが必要になっているのではないのでしょうか?今後の教育に必要なのは、「ゆとり」ではなく「強さ」なのかもしれません。
そういった社会の延長線上でなら、世界で戦える日本人が今よりも多く生まれるのではないでしょうか?
今回は、その続編として、テニスと教育について書きたいと思います。一部、私自身の偏見と思い込みが含まれている恐れがあります。ご了承の上、お読みください。
社会人になる以前の学生時代にバリバリ、テニスをし、愛していた人のうちで、今もテニスを続けている方は多くいらっしゃることと思います。ただし、それは単純な個人の趣味の延長線上であり、テニスを生業としている方はプロプレイヤー、コーチ、メーカー関係者を含めても、ごく一部だと思います。
テニスに限らず、野球、サッカー、その他のスポーツ、さらに言えば、芸術などの文化についても同様の傾向が見られるとも、思います。
一方、現在、教育の現場では、教師の過労状態もまた問題となっていると聞きます。教師は中学以上の学校では、クラス担任、教科担任、部活顧問を兼任していることが多く、平日昼間はクラス担任、教科担当として、平日夕方以降、休日は部活動に時間を奪われ、それにより、教師自身の心のゆとりがなく、全ての生徒の心の問題まで手が行きとどかず、それにより、多くの生徒が望まざる生活へと堕ちて行くことが問題となっているとも聞きます。
私は、部活顧問講師制度があればと、今まで何度も思ったことがあります。
私の言う、部活顧問講師は、基本的に担当授業を持たず、部活顧問とクラス担当を主な業務とし、時には、いくつかの授業にオブザーバーとして参加する講師です。
授業は、教師のワークエリア、部活は講師のワークエリアとして、分割し、従来の教師が一人で背負っていた責務を分担して、余った労力を生徒のメンタルケアに充てることが、この制度の目的です。
私の知る限りでは、それまでに、全国クラスもしくはそれに準じたの戦績を残した人は精神的にも優れた人が多く、こう言った人が、さらにスポーツを指導するためのトレーニング、メンタルケアに関するトレーニングを積めば、講師にふさわしい人物になれると信じています。故に、資格としては、テニスでは、日本体育協会公認 テニス教師+メンタルケアトレーニングを修了した者が妥当だと思います。
このように、人を使うシステムがあれば、当然、人権費が発生します。それはどこから得れば良いのでしょうか?私は教育税ってあっても良いと思います。課税対象は、扶養対象者のいない、所得税対象者です。生き方が多様化し、出生率が低下している昨今、子供よりも、仕事や自身の生きがいを重視する人が増えていると聞きます。ならば、子供を持たない大人が、子供を持つ家族を支えるシステムってあってもいいんじゃないでしょうか?
また、お金といえば、最近のメディアで、教育を目的として掲げた赤字を垂れ流す半公的ハコモノについて伝えられることが度々あるようですが、人を育てるのは、モノではなく、間違いなく人です。(どこかのクレジットカードの宣伝ではありませんが)
子供は、社会にとって磨けば光る原石です。ただし、磨かなければ、光る可能性が失われてしまいます。また、磨くには多くの時間と労力が必要で、磨き方もできれば、高度な方が良いと思います。そのためのこと、真剣に考えることが必要になっているのではないのでしょうか?今後の教育に必要なのは、「ゆとり」ではなく「強さ」なのかもしれません。
そういった社会の延長線上でなら、世界で戦える日本人が今よりも多く生まれるのではないでしょうか?