2008年02月26日
花粉症のあなたに…
花粉症の皆様、こんにちは。
杉の木が黄色く色づき、ヤツラがやってくる季節、
そう、花粉が猛威を奮う季節がやってきましたね。
私がよくテニスをするコートは、
インドアのスクールを除き、
たくさ~んの緑に囲まれた、自然豊かな環境にあります。
ということは、
この季節はヤツラの襲来からどう身を守るかが、
充実したテニス生活を送る鍵となるのです。
薬は眠くなる。
マスクをしては息苦しいし、見苦しい。
でも、対策をしないと、はなは垂れるし、詰まって苦しい。
当然、集中などできるはずもなし。
ということで、今年は、
フマキラーの
『花粉 鼻でブロック』なるクリームを購入しました。
以下、独断と偏見に満ちた解釈です。
このドイツ生まれとのクリーム、
主成分は精製長鎖炭化水素です。
要はパラフィンですね。
パラフィンってのは、ポリエチレンの出来損ない比較的分子量の小さい成分からなっています。
多くの花粉対策薬品と言うと、
薬効がどうの、作用部位がどうの、とかいろいろあるようですが、この花粉鼻でブロックのメカニズムは非常にシンプルです。
『鼻の中に塗って、粘膜に付着する前に花粉をトラップ』
要は物理的に接触を妨げるのです。
で、使用法ですが、
1.綿棒の先にちょいとクリームを乗せます。
2.綿棒で鼻の中にグリグリと塗りたくります。それだけです。
(男女問わず、異性に見られないところで塗りましょう。
下手をすると、花粉は防げても大事な人を失うかもしれません。
いや、あえて見せて試すのも…)
物理的に花粉を遮断するので、多分誰にでも効果があるものと思われます。
全国のスーパー、薬局で販売されてますが、
たかが、パラフィンなのに5g、1500円!!
とはちと高い気がしますが、それで花粉症の苦しさから逃れられるならイイかな?
精製工程、広告、ライセンスなどでこの値段となっているのだと思いますが、
ただのパラフィンが1500円…。
やっぱり、高くない?
杉の木が黄色く色づき、ヤツラがやってくる季節、
そう、花粉が猛威を奮う季節がやってきましたね。
私がよくテニスをするコートは、
インドアのスクールを除き、
たくさ~んの緑に囲まれた、自然豊かな環境にあります。
ということは、
この季節はヤツラの襲来からどう身を守るかが、
充実したテニス生活を送る鍵となるのです。
薬は眠くなる。
マスクをしては息苦しいし、見苦しい。
でも、対策をしないと、はなは垂れるし、詰まって苦しい。
当然、集中などできるはずもなし。
ということで、今年は、
フマキラーの
『花粉 鼻でブロック』なるクリームを購入しました。
以下、独断と偏見に満ちた解釈です。
このドイツ生まれとのクリーム、
主成分は精製長鎖炭化水素です。
要はパラフィンですね。
パラフィンってのは、ポリエチレンの出来損ない比較的分子量の小さい成分からなっています。
多くの花粉対策薬品と言うと、
薬効がどうの、作用部位がどうの、とかいろいろあるようですが、この花粉鼻でブロックのメカニズムは非常にシンプルです。
『鼻の中に塗って、粘膜に付着する前に花粉をトラップ』
要は物理的に接触を妨げるのです。
で、使用法ですが、
1.綿棒の先にちょいとクリームを乗せます。
2.綿棒で鼻の中にグリグリと塗りたくります。それだけです。
(男女問わず、異性に見られないところで塗りましょう。
下手をすると、花粉は防げても大事な人を失うかもしれません。
いや、あえて見せて試すのも…)
物理的に花粉を遮断するので、多分誰にでも効果があるものと思われます。
全国のスーパー、薬局で販売されてますが、
たかが、パラフィンなのに5g、1500円!!
とはちと高い気がしますが、それで花粉症の苦しさから逃れられるならイイかな?
精製工程、広告、ライセンスなどでこの値段となっているのだと思いますが、
ただのパラフィンが1500円…。
やっぱり、高くない?
2008年02月17日
精神をつなげる
集中が高まったとき、
握っているのラケットのヘッドまで、
研ぎ澄まされた感覚が通う。
そんなことありませんか?
ラケットを持ったときに、
そのラケットがすっと、何気なく、
自分のモノになる。
ボールを打ったときに、
何がいいわけでもなく、
何も悪い点もない。
ただ、自分の持てる力をそのまま、
出してくれる。
今、使っているピュアドライブはいいラケットだと思います。
それなりに、打球感もイイ。
飛びが必要なには飛ぶし、
回転もかかる。
厳しい状況では、自分の力+αを加えてくれる。
でも、この記事の始めに書いたような、
感覚は残念ながらない。
その感覚を求めるならば、やはりツアー系のラケットになるのだと思います。
あの感覚を求め、ツアー系のラケットを使うならば、
当然ながら、それなりのフィジカル、スキルが必要です。
私自身が求め、望むテニスはそこにあるわけですが、
そこにいたるには、その他の生活を含めた
すべきこと、できることのバランスが悪すぎる。
それでも、あの感覚は欲しい。
それを頭の片隅に入れてテニスをしていきたいと思います。
握っているのラケットのヘッドまで、
研ぎ澄まされた感覚が通う。
そんなことありませんか?
ラケットを持ったときに、
そのラケットがすっと、何気なく、
自分のモノになる。
ボールを打ったときに、
何がいいわけでもなく、
何も悪い点もない。
ただ、自分の持てる力をそのまま、
出してくれる。
今、使っているピュアドライブはいいラケットだと思います。
それなりに、打球感もイイ。
飛びが必要なには飛ぶし、
回転もかかる。
厳しい状況では、自分の力+αを加えてくれる。
でも、この記事の始めに書いたような、
感覚は残念ながらない。
その感覚を求めるならば、やはりツアー系のラケットになるのだと思います。
あの感覚を求め、ツアー系のラケットを使うならば、
当然ながら、それなりのフィジカル、スキルが必要です。
私自身が求め、望むテニスはそこにあるわけですが、
そこにいたるには、その他の生活を含めた
すべきこと、できることのバランスが悪すぎる。
それでも、あの感覚は欲しい。
それを頭の片隅に入れてテニスをしていきたいと思います。
2008年02月17日
大したこと
『大したことない』
時々、耳にします。
私自身も試合の時などに、
自分よりも強い相手にぶつかった時に
『この相手のあの部分は大したことない』
と自分の心に言い聞かせたり、
パートナーに言って、
強い相手に萎縮しないため、
自分たちを鼓舞することはよくあります。
でも、この『大したことない』を
使いすぎてはいませんか?
使うべきではないとき、
使ってはいけない相手に、
不明確な理由で、
使ってはいませんか?
『大したことない』という言葉は、
間違いなく、『上から目線』の意味合いを含んでいます。
それで、他者を傷つけてしまうことは、
大したことではないでしょうか?
時々、耳にします。
私自身も試合の時などに、
自分よりも強い相手にぶつかった時に
『この相手のあの部分は大したことない』
と自分の心に言い聞かせたり、
パートナーに言って、
強い相手に萎縮しないため、
自分たちを鼓舞することはよくあります。
でも、この『大したことない』を
使いすぎてはいませんか?
使うべきではないとき、
使ってはいけない相手に、
不明確な理由で、
使ってはいませんか?
『大したことない』という言葉は、
間違いなく、『上から目線』の意味合いを含んでいます。
それで、他者を傷つけてしまうことは、
大したことではないでしょうか?
2008年02月11日
大人の資格
私ももう30歳です。
世の中では、もう立派な大人と見なされますね。
大人の資格や証明って何でしょう?
成人式をすれば、大人?
異性と関係を持てば大人?
そうでしょうか?
人は誰しも、支え、支えられて生きています。
その支持バランスが、
支える方が、
支えられる方よりも、恒久的に大きくなったときに
初めて大人といえるのではないでしょうか?
支えるには、本当に多くのものが必要になります。
責任感、実力、努力、体力など
(トータルとして人間力とも言うようですが)
いろいろあり大変ですが、
ほとんどすべての人が大人になれる、
また、大人とならなければなりません。
そうした大人は、自然と尊敬できますよね。
もし、そうできないようならば、
自身の見る目をもう一度見直さなければ、
ならないのではないでしょうか?
世の中では、もう立派な大人と見なされますね。
大人の資格や証明って何でしょう?
成人式をすれば、大人?
異性と関係を持てば大人?
そうでしょうか?
人は誰しも、支え、支えられて生きています。
その支持バランスが、
支える方が、
支えられる方よりも、恒久的に大きくなったときに
初めて大人といえるのではないでしょうか?
支えるには、本当に多くのものが必要になります。
責任感、実力、努力、体力など
(トータルとして人間力とも言うようですが)
いろいろあり大変ですが、
ほとんどすべての人が大人になれる、
また、大人とならなければなりません。
そうした大人は、自然と尊敬できますよね。
もし、そうできないようならば、
自身の見る目をもう一度見直さなければ、
ならないのではないでしょうか?
2008年02月11日
新しい気持ちで…。
ブログを閉鎖して2ヶ月。
結局、ブログを再開することにしました。
その間、私の中で大きな変化があったわけではありませんが、
まだ、私にも書きたいことがあるのだと、
日々の中で思えたので、続けることにしました。
ちょっとづつですが…。ね。
結局、ブログを再開することにしました。
その間、私の中で大きな変化があったわけではありませんが、
まだ、私にも書きたいことがあるのだと、
日々の中で思えたので、続けることにしました。
ちょっとづつですが…。ね。