2006年10月29日
お金
お金は、人の心を定量できる唯一のもの。
昔は人と人の間のモノのやり取りは物々交換でした。
モノをもらうお礼にモノで返す。
感謝の気持ちとともに。
それでは、あまりに不便だからと、
物々交換を媒介するモノとして通貨が生まれた。
現在では、通貨が十分に流通し、
モノを購入する時、サービスを受ける時
お金で清算する。
それがいつからか、商いの世界で
お金を払ってくれるお客は神様という考え方が生まれ、
お客に対して売り手がお礼を言うのが当たり前、
お客はお金を払っているのだから、
その代価として、モノやサービスを受け取るのが当たり前、
になっているような気がする。
なにか失われてはいないだろうか?
そう、感謝の気持ちである。
お金という代価を払っていても、
回りまわって、互いに社会を作っているもの同士、
やり取りをすれば、感謝をして、お礼の言葉を言ってもいいのではないか?
例えば、
レッスンの後だけではなく、
スーパーやコンビニで買い物をしたとき、
どこかで外食をしたときに
一言、笑顔で
「ありがとう」と言うだけで、
社会がもっと丸くなると思うのは私だけでしょうか?
昔は人と人の間のモノのやり取りは物々交換でした。
モノをもらうお礼にモノで返す。
感謝の気持ちとともに。
それでは、あまりに不便だからと、
物々交換を媒介するモノとして通貨が生まれた。
現在では、通貨が十分に流通し、
モノを購入する時、サービスを受ける時
お金で清算する。
それがいつからか、商いの世界で
お金を払ってくれるお客は神様という考え方が生まれ、
お客に対して売り手がお礼を言うのが当たり前、
お客はお金を払っているのだから、
その代価として、モノやサービスを受け取るのが当たり前、
になっているような気がする。
なにか失われてはいないだろうか?
そう、感謝の気持ちである。
お金という代価を払っていても、
回りまわって、互いに社会を作っているもの同士、
やり取りをすれば、感謝をして、お礼の言葉を言ってもいいのではないか?
例えば、
レッスンの後だけではなく、
スーパーやコンビニで買い物をしたとき、
どこかで外食をしたときに
一言、笑顔で
「ありがとう」と言うだけで、
社会がもっと丸くなると思うのは私だけでしょうか?